2019年6月2日日曜日、午前9時から午前11時半まで、聴解、読解、文書作成の試験を受けた。弁護士になるまでに多くの試験(司法試験とか司法修習生考試とか…)を受けてきたため、時間配分を徹底する、1点でも多く取るという本能は健在のようだった。
特に文書作成は、結局事前に対策らしいこともしなかったが、生まれて初めて辞書を引かずに、250単語もの文章を書くことができたので、評価がどうなるかは皆目見当がつかなかったが、満足していた。問題は次の口頭表現だ。
たまたまこの試験の1週間前に、フランス人弁護士とフランス語で会話する機会があり、なぜかアフガニスタンにはサンダリという日本のこたつに似たものがあるとかそういった話題で盛り上がった。
ただ、それはあくまで日常会話をしたにすぎない。仕事が立て込んでいたこともあり、中断していたベッソン師のプライベートレッスンを再開することもないままこの日を迎えてしまった。よって、肝心の口頭表現の試験は全く対策できていない。あとは、口頭表現のテーマでアフガニスタンのこたつが出てくることを期待するしかない。
口頭表現試験の開始時間、というか集合時間は午後3時50分と指定されていたため、中だるみ感は並大抵ではない。
仕方なく私は、試験会場であるアンスティチュフランセ付近の喫茶店をはしごしつつ、読みかけのル・モンドを読み込んだ。口がうまく動かないのは困るので、喫茶店の周囲のお客をドン引きさせないように、声は出さずに新聞記事を音読?し続けた。
さて、気づけば集合時間である。
口頭表現試験のお題は、「最近、男性の助産師が活躍している等からも明らかなように、従来の男性がする仕事、女性がする仕事という垣根は崩れている。しかし、未だに女性は非正規で昇給が望めない仕事に多くついている…」的なことが書かれていた。
初見の単語もいくつか散見されたが、文脈上何を言っているかはわかった。問題はないはず…
私の口頭表現試験が実施される教室は、らせん階段をかなり上らないといけない場所にあった。若干道に迷ったこともあり、あわてて階段を駆け上がったら息が上がってしまった。
教室に入ると、温和そうな日本人男性がいた。フランス人ではないのか…
取り急ぎ名前を名乗り、受験票を提示すると、
「それでは、まずテーマの要約をしてください」
指示に従い、自分が選んだテーマについて、手元のメモを見つつ、要約して、「多くの仕事は男性でも女性でもできる、また、同じ職務に就く以上、性差なく同賃金を支給すべきだと思います」的なことを述べた。
試験官が手元の時計を見る。
「えーと、この冒頭の要約で、3分から5分程度話してもらうはずなんですが、えーまだ1分20秒しか経ってないですよ?」
「まじっすか!?」
いかん、確かに問題集にもそんなことが書いてあったか。そもそも3分間から5分間連続でフランス語で話すという経験が一度もないことに気付いた。冷や汗が噴き出る。
明らかに困惑する試験官。
「えと、では、ディスカッションに入りましょう」
「お、お願いします…」
「どうして男女間で賃金格差ができてしまうのでしょうか?」
「それはおそらく、女性が妊娠・出産などで、職場を離れることがある、ということを考慮して結果だと思います。職場を長く離れることがない男性従業員との公平を考慮した、ということではないかと思います。ただ、世代の再生産ということはとても大切なことであり、それを理由に格差を正当化することはできないと考えます。実際に提供している役務の質に着目して、賃金に反映されるべきです」
「なるほど。では、職業の選択において、性差が反映されるのはどうしてでしょうか?」
「うーむ…確かに、私は弁護士なのですが、法科大学院、司法研修所では大体3人に1人が女性だった気がします。なので、若干性差が影響している可能性はあります」
「どうしてそうした影響が出るのでしょう?」
「教育費の分配ということも影響しているかもしれません。例えば、子どもが2人いて、一人が男、もう一人が女、というときに、親の判断で男の子のほうにより教育費をかける、ということがあるのかもしれません」
「なるほど。ただ、地方部ではそういうこともあるかもしれませんが、都市部ではそういうこともないのではないですか?」
「ご指摘のとおりです。また、子どもが一人しかない家族も一般的なので、私の説明だけでは理由にならないですよね…あるいはアニメ、漫画の影響もあるかもしれません。小さな女の子向けのアニメにおいて、パティシエや花屋さんを志向する描写を見ることもしばしばですので。結果として、弁護士、司法官の女性志望者が減るということもあるのかもしれないです」
「一方で、男女間で能力差があるために、賃金格差が生じているに過ぎないとの指摘もできるのではないですか?」
「うーむ…いやでもロシアでは」
ここで、試験官は明らかに吹き出した。それはそうだろう。フランス語の試験をしているのに、ロシアの話題を切り出す受験者はあまり一般的とは思えない。
「第二次世界大戦後のロシアでは、多くの男性が死亡しました。その結果、それまでは男性の仕事とされていた医師のような専門職も、多くの女性が担うようになりました。必要に迫られれば、女性だからできない仕事、というのはあまりないかと思われます」
冒頭でずっこけているのでもはや必死である。
収集がつかなくなってきたところで、試験官は、
「ほかにつけたすことはありますか?」
と振ってくださったので、
「ございません!」
とお伝えし、晴れて全試験終了となった。