UIA大会主催者側のおもてなし精神はいたるところで発揮された。
上記のカーサ・ダ・ムジカ(音楽の家とかそういう意味合いか?)において、歓迎のレセプションが催された。ポルトガルの人気歌手バカリャウさん(ご自身も自己紹介されていたが、ポルトガルの名物干し鱈バカリャウと同じ語だそう。)によるコンサートのほか、ポルトガルの司法大臣などが次々と歓迎のスピーチを行った。ここでも、あらゆる発言が、英語、フランス語、スペイン語のいずれでも同時通訳の対象とされた。
この歓迎のレセプション後もカクテルパーティーが催され、ホステルに帰る際にはすっかり夜も更けていた。
ヨーロッパにいるんだなぁ…と月並みな感想を抱きつつ宿へ。
ポルト大会のお土産を宿で確認する。
洗濯物を入れるのにはちょうどよさそうなコングレスバッグ。横の謎の皿は我が家の玄関の鍵置き場に成り下がってしまった。
さて、翌日。
UIA大会は登録費用という名の会費を10万円以上も要求されるだけあり、
朝食的な軽食はもちろん、
ポルト名産のワイン付きのランチビュッフェも大変充実していた。
加えて、地元企業も物販に精を出していた。
飲み食いばかりじゃないか、との指摘もありそうだが、こうした大会では他の参加者との交流も大事なポイントである。
私の横に座っている女性弁護士は、在米アメリカ大使館の顧問的なことを長年してきた方だそうで、フランス語も完璧だった。
「となりに座ってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
「私は日本から来ましたユウスケと申します。あなたは?」
「私はリン・○○○といいます。日本ではどんなお仕事を?」
「つい2か月前まで、弁護士が50人くらいしかいない地域で開業してましたので、刑事事件、家事事件を中心に、何でもやってました。合理的な理由のない解雇の効力を争う訴訟なんかも担当してました。今東京に活動の場を移しましたので、英語とかフランス語を使う案件も今後扱いたいと思ってます」
「(ここからフランス語に切り替わる。)あー、あなたフランス語話せるの?私もアメリカにあるフランス大使館のコンサルタントやってたのよ」
「(こちらも切り替える。)あ、フランス語話されるですね。英語、フランス語、スペイン語が公用語だというので、どんな大会なのか非常に興味がありました」
かれこれ1年以上前の話だったので、リンさんとの細かい会話は覚えていないが、ポルトがともかく坂道ばかりで平な道がない、迷うと足腰に来る、的な話題で盛り上がったのと、次のくだりはよく覚えている。
「あの、ところで、私のフランス語は意味をなしていますかね?」
「いいたいことはわかるわよ。ただ、ちょっとジャパニーズ・アクセントが強いわね」
「ああ、やはり…」
「今以上に上達したいなら、ネイティブ、それもきちんと教授法を身に着けた人から教わることは避けてとおれないわ」
「そうですね。先月から東京へ転居したのですが、そういった指導をしてくれる機関は多くあるので、帰国したら挑戦します」
「そうしたらかなり展望が開けると思う。英語、フランス語の基礎はできているようだし、それ前提に日本語という希少な言語が話せるなら、かなりできることは広がるはず」
「英語、フランス語に加えて日本語、ですか。その発想はなかったですね」
「家族法やっている、ってことだったら、日本の裁判制度の前で困っている英語話者、フランス語話者だってたくさんいるはずよ」
「なるほど…」
ちょっとした発想の転換だと思った。英語話者、フランス語話者からすれば、日本語こそ希少な言語なのか。
帰国後、DELF B2に挑戦し、さらにはベッソン師、ペルワン師に師事した遠因はこのときの会話だったかもしれない。
なお、リンさんと撮った記念撮影で私が若干ニヤけているのには理由がある。
細かい話までは聴こえなかったが、リンさんの右隣りに座っていたイタリア人の先生が、何か政治的なトピックでリンさんの地雷を踏んでしまったのだ。
アメリカ―ンな白熱したバトルが展開していたため、ニヤけた、というか引きつってしまったのである。